これは、僕の母方の曽祖父『明治郎朗』が大正の半ばに書き残した日記に書かれた怪異の数々の一つです。
いまから90年ほど前の場所は、帝都・東京 上野恩腸公園
大正8年4月7日の出来事
今も昔も名所として名高い場所の上の音腸公園ですが、夜桜見物へと出かけた明治朗は、奇怪な芸人に遭遇します。
何と、自分の首を吊るのを見世物にしている男がいたのです。
枝ぶりのよい桜の木の下に台が置かれ、年の頃50位の男と10代半ばの少女が並んで座っており少女の手には一振りの刀が捧げもたれています。
男が口上が上げます。
『帝都の紳士淑女の皆々様これよりお眼にかけまするは類まれな芸巧くいきましたら拍手喝采』
言うが早いか、荒縄を手に台に駆け上がると桜の枝に縄を架け、ドンと台を蹴飛ばしました。
その刹那、がくんと枝が尭り、男の体は空に浮きました。
一斉に悲鳴、怒号が巻き起こり周囲はパニックに陥りました。
もはやこれまでかと思われましたが、傍の少女がすらりと日本刀の鞘を払い飛び上がると首吊り縄を切り落としました。
ドサッと男の体が地面に落ち、しばしの沈黙の後ビクッと指を動かし、蘇生したのでした。
さて、その二日後、明治朗はその首吊り芸人に再び出会っています。
場所は上野池之端、連月にて出会い、酒をすすめると話に乗ってきました。
掻い摘んで書きますと、
この男、捨松という元サーカスの道化師でサーカスが潰れたので孫娘を連れ軽業で糊口を凌いでいたのですが、儲けが少ないので、首吊りを見世物としたとのこと。
これには、まるでトリックが無いとのこと。
(存外に気分の良いものであると語っています)
『実は、名はいえませんが華族様の前で見せた事もあるんですよ。全く世の中変わった人がおおいものですね』
と捨松は言っていたそうです。
「自分も刺されるのではないか。と瞬間的ですが思った事も事実」
と命がけの追跡中の心理状態を明かしている。
みごと、加藤容疑者を確保した荻野巡査部長は
「たまたま現場に居合わせ、警官としてやるべきことをやっただけ」
と語っているが、加藤容疑者との格闘で、荻野巡査部長の耐刃防護衣には、内側の金属板に達するほどの傷がついていた。まさに命がけである。
命がけの格闘の後で家族への配慮も忘れない。心配しないように、事件の事には触れずに
「仕事で遅くなるとだけ連絡した」
ということだ。
帰宅すると
ニュースで事情を知った妻は
「無事でよかった」と話し
子ども達には
「お父さんかっこよかったよ」
と言われたという。
727Ã727 mm 20/07/2008 (via takashi.yamauchi)
oil painting on canvas 山内崇嗣 takashi yamauchi 2008 参照: 麗子像